諦めない、信じる気持は「奇跡」を起こす。末期がんと戦う友人が私に教えてくれた事

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40まま

『仕事と育児を両立する2歳児のママ。毎日キラキラ生きてます!』と言いたいところですが、現実はキラキラのキの字も見えません。保育士のナニー様に支えられながら、何とか人の母として生息中。『高齢ならではの妊娠や育児に関する悩みをスッキリ解消できる記事』を心がけながら、非常にのんびり記事を書いております。

私は41年間生きてきて、ありがたくも「奇跡」を目の当たりにしました。

今日は忘れてしまわないうちに、この大変貴重な経験を、をしっかりと書き留めておきたいと思います。

私はこれまで「奇跡」を信用した事は、一度もありませんでした。どうせドラマの中の事だけだと、ひねくれた考えを持っていました。

でも違いました。奇跡は、本当に起こるんですね。

人は、起こる可能性が極めて低いと思われる事が起きた時に、奇跡だといいます。

誰もが「そんな事は起こらない」という可能性。その起こらないだろう可能性を信じ続け、諦めずに努力をし続けた人には、必ず奇跡が起こせるという事を、私の最愛の友人が彼女の全身全霊を使って私に教えてくれました。

こんな貴重な経験をさせてくれた友人には、私の拙い言葉では伝えきれない感謝の念が溢れています。言葉で伝えられないから、非常に歯がゆい、出来るなら今すぐに飛んでいって、彼女と抱き合って喜びたい。

彼女は今、私から何マイルも離れた場所にいるので、それは残念ながら今すぐには出来ません。でも、その代わりに、今日は彼女が起こした、この奇跡を、一人でも多くの人に知ってほしいと思いました。

私がその奇跡から計り知れない程のエナジーを貰えたように、このストーリを読んだ人は必ず奇跡は起こる、願いは叶うのだという事が実感出来るのではないかと思うからです。

さきさんと癌:手術からがん完治報告まで

1度目の手術

私の友人、さきさん(プライバシー保護の為、仮名となっています)は、私が彼女に出会った頃からずっと悪性の腫瘍と戦い続けています。

その月日は15年以上にくなります。

さきさんは、体は弱かったものの、人一倍明るくて、元気で、エナジーに溢れていて、いつもニコニコ、時間があれば人の心配や、お世話ばかり焼いている、心の清く、強く、優しい女性でした。

さきさんは、26歳の頃より、腫瘍の摘出手術を毎年繰り返していましたが、とうとうその腫瘍は彼女が34歳の時にがんとなりました。今から7年前の話になります。

発見からわずか2週間、若かった彼女の身体の中で、がんは恐ろしい速さで広がってしまった為、すぐに摘出手術を行う必要がありました。

病室に横たわるさきさんは痩せ細り、髪の毛も抜け落ちて、人に気を使えるような状態ではありませんでした。

そんな状態なのに、「来てくれてありがとう、ありがとう。忙しいのに、ごめんね。大丈夫?こんなに遠くまで、本当にごめんね。」と泣きながら何度も謝っていました。

さきさんは、その優しさからか、極度に人に気を使う人でした。

この闘病生活を送っている間中も、ずっとずっと自分の事よりも、人の事ばかり心配しているようでした。

今思うと、もしかすると彼女は「自分の為」ではなく、「人が悲しむ姿を見たくないから、人の為」に自分が死なないように、頑張ったのかもしれないなあ、と思います。それぐらい、人の事を考えてくれる女性なんです。

抗がん剤治療から自然療法へ

抗がん剤治療には賛否両論がありますが、彼女にとっては当時最適だと思われる処置だと医者は言いました。しかしながら、彼女の体には抗がん剤の副作用がとても強く現れてしまい、目眩、吐き気、頭痛、とても辛い日々を送っていました。

抗 がん剤の副作用を強く受けたさきさんは、がんを治す為に自然治療を積極的に取り組むようになっていきました。

日頃から勉教熱心な彼女は、医者に頼らずに、自 力でがんを克服する為に、それこそ毎日研究を積み重ねて、がんに効果があるという、ありとあらゆる事を試していました。

がんを治癒させる為には、免疫力を高める事が何よりも大切らしく、ストレスは大敵、甘いもの、タバコ、お酒、薬は控えて野菜中心の食生活、お肉も一時期は完全に食事から除去していた事もあります。

「笑う事」が、免疫を大きくアップさせるといっていた彼女は、いつも大きな声で「アハハハ」と笑っていました。彼女にとっては、私はとても面白い存在らしくて、私の話を聞くと明るくなれるといってくれて、毎日一緒に笑い転げていました。

彼女のデフォルトの表情はいつも「笑顔」でした。

トランポリンも免疫力をアップさせるといって、自宅で毎日飛び跳ね、筋肉痛になり、年甲斐もない小学生のようだと、笑っていました。

一時期は痩せ細り、髪の毛もすっかりと抜けていたさきさんは、様々な自分の努力の賜物か、体重もすっかり元に戻り髪の毛も生え、顔色もよく、傍から見ると健康そのものに見えました。

続く白血球レベルの低迷

しかしながら、体の裏側では、さきさんの白血球レベルは引き続き激減したままで、風邪が悪化しただけで命取りになる可能性もあるという、油断の出来ない状態が続いていました。

癌細胞も完全には消滅してはおらず、抗癌剤治療も引き続き続けながら、癌が広がらないようにマネージしながら、癌と共存する生活を長い事続けていました。

元 気そうに振る舞うさきさんといると、楽しくてついついそういった事実を忘れてしまい、私や友人と無理して遅くまで遊ばせてしまう事がよくありました。

そう いった日の翌日には、決まって数日間、発熱、頭痛で寝込んでしまい、そうなって初めて「そうだ、さきさんは、まだがん患者なのだから、気をつけなければな らないんだ。」と反省したものでした。

そんな病人のような、はたまた人一倍健康体のような生活を送っていたさきさんがいつも言っていた事があります。

「術後5年間生存達成出来れば癌が完治したといえるんだって。私は絶対に癌なんかには負けない。克服してやるからね!」

いつも、前向きに物事を考える女性でした。

表向きには、さきさんは毎日幸せで楽しくて仕方ないように見えました。

でも、どんなに強い人間であろうと、再発を全く恐れずに日常生活を送る事が、簡単だったはずはありません。

私は、彼女がいつも人並み以上に癌の事を調べ、完治する為の努力を絶やさなかった事を知っています。

生存5年。がんの完治を達成した

そしてとうとう5年間、さきさんは生き続けました!!!

2015年の1月に、いつも笑顔の彼女が、更にはちきれんばかりの幸せ一杯の微笑みで癌が完治したというニュースを教えてくれました。

「やったよ!5年間癌が再発しなかったから、完治したって言えるんだよ!!!」

私もさきさんをいつも応援していた友人も、それはそれは嬉しいなんて一言で表せない程、喜びました。

よくこの5年間、頑張ったものだ、信じられない、努力の賜物だ、奇跡だ、さきさんは絶対克服出来ると信じてた、と皆が口を揃えて一緒に幸せを噛み締めました。

さきさんと癌:がん完治報告からがん再発まで

家で転落。複雑骨折

喜びもつかの間、3ヶ月後のある日、さきさんは入院しました。

ただし、今回はがんではなく、複雑骨折でした。

その骨折の度合いが非常に酷いもので、一体どうやったら家の中でそこまで酷く骨折出来るのか、、、お医者様もびっくりしていたといいます。

当時はそんな彼女のエピソードも、「またまた、さきさんったら、オッチョコチョイだねぇ」と笑えないような、笑い話になりつつありました。

一瞬、私は、「本当にただのオッチョコチョイから来るミスなんだろうか、、」と若干嫌な予感を感じましたが、あまり深くは考えないようにしました。

骨折した腕のリハビリがとても痛いらしく、いつも元気なさきさんもさすがに今回は、ちょっぴり弱音を吐いていました。

それもそのはず、両腕を骨折しているのですから、何も出来ない状態なのです。

私 は彼女が骨折した時は、ちょうど妊娠しており、なかなか会いに行く事が出来ず、大変歯がゆい想いをしていました。

リハビリに行きたくないという彼女に、リ ハビリの重要さを伝え、しっかりリハビリを受けるように説得していたある日、また彼女の口からショックなニュースが飛び出しました。

癌の再発の疑いを信じない

以前の担当医と別の医者に診察してもらったところ、実はがん細胞と思えるものが見つかったらしく、がんは実は再発していたかもしれず、再発しているかどうか確かめるために、開腹手術をして詳しく調べる必要があるという、信じがたい内容でした。

一体、癌はどこまでさきさんを苦しめるつもりなのか!!!!

私は、悲しい気持よりも怒りの感情を覚えました。

神様というものがいるなら、何故彼女程清い人間を、ここまで陥める必要があるのでしょうか。

「再 発するはずがない。がんが再発すると思ったら、本当に再発するのだから、無くなっていると、信じなきゃダメだからね!大丈夫、絶対にそんな馬鹿な話、ある わけがないんだから!」と励ましながら、私は彼女がまたがんになるなんて、そんな馬鹿な事が、起こるわけがない、と心の底から信じていました。

彼女が自分の身の上を心配する程、私は心配をしていなかったのです。

だって、本当にそんな事、起こるわけがないと思っていたんです。

完治宣言から半年後に再発した癌

しかし私の思いと、手術の検査結果は相反する悲しいものでした。

がんは再発していました。

下腹部全体に広がってしまったがんは、末期のステージ4でした。

2015年の7月、がんの完治宣告からわずか半年後の事です。

さきさんは、私を含め、彼女の事をいつも気にかけている友人グループにメールで失礼します、と近況を教えてくれました。

再 発したがんは、悪いものであり、放射線治療、抗がん剤治療を続けてきた彼女には、これ以上抗がん剤投与が出来ずに、治療法がほぼ残されていない事。

そして有名なが んセンターを数カ所回ったが、全ての医者が同じ「余命3ヶ月~6ヶ月」の見解を持っている事等が淡々とメールに書かれていました。

涙で前が見えなくなりました。

でも、私はどうしてもさきさんが本当に死んでしまうなんて、そんな事が信じられなかったんです。

こんな皮肉な結果が、本当に起こるわけがないじゃないか。

何人もの医者が下した判断は、本当に正しいものなんだろうか?

信じられない、信じられない、信じられない、さきさんは死ぬわけがない。。。

余命3ヶ月宣告は信じない

死の宣告を受けたさきさん自身、全くその宣告を信じてはいませんでした。

彼女は、がんは傷のようなもので、刺激を与えずに体に良い事をしていれば、人間が傷を自然に治せるように、がんも正常細胞に戻すことが出来るといいました。

そして、人間の治癒力を信じて稀に助かるケースの枠に入ってみようと思う、と断言してくれたのです。

昔、彼女は、「もしがんが再発したら、もう抗がん剤は絶対に打たないで、好きな事だけして、旅行でもして、最後まで人生楽しむんだ~。」と宣言していました。

そしてさきさんは、宣言したとうり、抗がん剤は打ちませんでした。

しかしながら、「生きること」を諦める気持は、全くありませんでした。

それは、きっと彼女の最愛の旦那様のためでもあったのでしょう。

旦那様を一人残すわけにはいきませんから、彼の為にも、さきさんは生き続けなくてはならないのです。

さきさんと癌:ゲルソン療法と度重なるがん摘出手術

独学でがんを研究。ゲルソン療法を発見

死 にたくない、という思いが、死ねないとなり、そう思い続けていたら死なないと、確信出来たというさきさんは、また独学を開始し、更なる自然療法の研 究に勤しみました。

世界中のがんに関する書物や栄養学の本を150冊近く読んだそうです。びっくりする私に、「とうとう私、がんの研究者になれるかも ね!」と、お茶目な冗談を飛ばしていました。

そして、研究の末、さきさんは、マックスゲルソンといいう医学博士が提案するゲルソンセラピー(ゲルソン両方)という、ビーガンダイエットを徹底する事でがんを自然に回復へ導くという、食事療法に辿り着きました。

ゲルソン療法を徹底した、末期がん患者たちは、何百、何千という単位で完治に至ったというのです。

ゲルソン療法とは、人間の自然治癒力を最大限まで引き上げ、完 治へ導いてくれるらしいのですが、非常に過酷なスケジュールに基づいた食事療法が中心となるものでした。

しかしさきさんにとっては、そのゲルソン療法こそが、何よりも理にかない、自分にぴったり合ったものだと実感出来るものでした。

ゲルソンに基づいた食事療法をを徹底すれば、必ずがんを完治出来るという信念から、早速厳しい食事療法をスタートさせました。

食事療法と並行してがん摘出手術をお願いする

食事療法を続けながら、更に勉教するうちに、さきさんは、一度固まってしまったがん細胞は、食事療法を続けていても、免疫が強化しても小さくなる事がない、という事実を知ります。

そこで、さきさんは担当医に、その固まったがん腫瘍の摘出手術をお願いしました。

担当医は、完全にこの彼女のお願いを却下しました。理由はがん腫瘍を切る事で逆にがん細胞を刺激してしまい、広げる事になりうる上、各臓器に穴を開ける可能性があるから、との事でした。

ただ、さきさんはがんの気持が分かるかのようで、その手術をする事で必ずがんの広がりを抑える事が出来るのではないか、という確信があった為、諦めめずに、無理を承知で医師に手術をする事をしつこくお願いしたそうです。

医師もとうとう、根負けしたのか摘出手術をしてくれる事になりました。

結果、何と医師も驚く程の良い結果が出たのです!

1度目の奇跡が起こる

末期患者で、この手術をしてがんが全く広がりを見せないのは、彼も見たことがないケースらしく、このまま同様の手術をすればがん腫瘍を随分削り取る事に成功するかもしれないというのです。

初めは完全に否定的だった医者も、さきさんのパワーに圧倒されたのか、今度は意欲的に2回目、3回目の摘出手術をすると言い出しました。

この話を聞いていた私は、さきさんの体が幾度もの手術に持ちこたえられるのか、そちらの方が心配でなりませんでした。

電話で話す彼女は、末期がんで死の宣告をされた以前と全く変わる事無く、いや、以前よりも明るさが増したようで、いきいきとしていました。

手術は、辛くないはずがありません。

毎回手術後は、麻酔の副作用と痛みで全く起き上がれず、2~3ヶ月の短期間という間で、トータルで4回の摘出手術をした後は、さすがに体の色んな臓器に影響が出てきてしまったようです。

がん腫瘍が50%も除去出来た

4回目の手術の後に、またさきさんから報告がありました。

がん腫瘍が減ってきた事が、自分でも実感出来るようになり、医師の話では何と50%もがんが除去出来たらしいとの事でした!

通 常、再発したがんの完治は見込めないのですが、医師もさきさんのケースは、奇跡だと言ったそうです。

身体さえ頑張る事が出来れば、同様の摘出手術を5~6 回する事で、完治にはいかなくともマネーじ出来る程度まで縮小出来るかもしれない、医師も張り切っているそうなのです。

やっぱり、さきさんはやってくれた!!!

死の宣告を受けてからすでに半年が過ぎていましたが、彼女は生きていました。

医師から反対された手術も、諦めずにお願いし、過酷な食事療法も毎日続けて、ようやくがんが又マネージ出来るようになるかもしれないという所まで、辿り着いたのです。

生きている事に、ただ感謝する日々

一体彼女の精神力の強さは、どこから出てくるんだろうかと、私は今も不思議で仕方がありません。

彼女を毎日毎日、それこそ自分の身を削りながら、必ずがんを克服出来ると心から信じ続け、サポートしてくれている旦那様があってこそなのだと思います。

彼女は毎日生きている事にシンプルに感謝し、今生きているのは、友人のサポートがあったからこそ、といつもお礼ばかりいっています。

私なんて、何も出来なくて歯がゆい気持ばかりが募っているというのに、何故か彼女はいつも私にもお礼を言います。

頑張っているのは、彼女自身なのに。。。。

今生きていること。
自分で動ける事。
笑えること。
友達がいること。
大好きなご主人様がいつも隣にいること。

そんな誰もが忘れてしまう、当たり前の小さな事に、感謝出来るからこそ、彼女はがんと戦う事が出来るのでしょう。

体重が激減

さきさんの体重は、新鮮な果物と野菜のみを、生で食べる事だけが許される、究極のビーガンダイエットともいえる、過酷な食事療法の為、13キログラムも減少してしまいました。

体重減少の為に、一人で立っている事が困難な時も出てきました。

しかしながら、体重は減少したものの、5年以上沈みきっていた白血球数値が徐々に上がり始めているという、グットニュースもありました。

この状況を客観的に見ると、体重が13キロ減って、わずか2~3ヶ月で4回も手術をして、私ならば、身体が辛い、これ以上は無理だと、弱音を吐き、もう諦めてしまったほうが楽なのではないか、と思っていたに違いないでしょう。

きっとさきさんも、そんな日が無かったはずは、無い。

でもその弱音を彼女が私にみせた事は、今まで一度もありませんでした。

だからこそ、思ってしまったんです。

さきさんは、強い人。
彼女ならば必ずこれからの手術にも持ちこたえて、必ずがんに打ち勝つ事ができると。

大きくなった、がん

しかしこの希望は、またしても裏切られました。

「またがんが元のサイズに戻っちゃったのよ。」と彼女はあっけらかんと言いました。

この半年間、4回に渡る手術でがんを摘出したのにも関わらず、がんは又成長し、半年前と同じサイズに戻ってしまったというのです。

さすがに、私はかける言葉を失いました。

彼 女は、きっとまた私に気を使ってくれたんでしょうね。

自分の身体の話は置いといて、私の話を聞かせてくれ、赤ちゃんはどう?会いたいな、みんなはどうして る?といつもと同じく、明るく、元気一杯の声で、質問をまくしたて、私も、なるべくショックなニュースの事を深入りせずに、いつものように笑いながらしゃ べり続けました。

彼女の電話での声は、健康そのものに聞こえました。

演技なのでしょうか?

いや、彼女は演技するような人ではないので、きっと身体は蝕まれているものの、気持は本当に元気なのでしょう。

どうしても私はさきさんのがんが戻って来た事が信じられませんでした。さきさんも同感のようで、彼女はここに来てもまだ諦めるような台詞は一切口に出しませんでした。

友人への貴重なメッセージ

数日後、さきさんは友人グループにメールを出しました。

どんなに自分が辛い状況であろうと、必ず彼女は近況を知らせる事を忘れない人でした。

そのメールの中には、彼女がこれまで調べてきたがんに対するリサーチの結果、何が一体がんの原因だったのかという事、そしてがんだけではなくて、今治らないと言われている全ての難病は、早期であれば薬を使わずに治せるといった、内容でした。

何度も手術を繰り返し、その度に化学的物質が体内に蓄積されてしまった彼女は、私達にどうしても同じ経験をして欲しくないからこそ、その貴重な情報を伝えたかったのでしょう。

病気になった時には、先ずそうなった原因を探り、薬で抑制するのではなく、解毒をしなくてはいけない。薬は症状を抑制するだけで、完治へは導かない。

そう彼女は教えてくれました。

あれだけの内容を、メールにするだけでも、体力を消耗してしまうというのに、それでも私達に伝えずにはいれなかったのでしょう。

絶望的な状況でも絶対に諦めない精神力

そんな状況でも、彼女は笑っています。

忙しくて、落ち込む暇などないといいます。

完治したら、お寿司を食べに行こうとか、旅行をしようとか、前向きな事しか、考えていません。

こんなに絶望的な状況でも、やっぱりさきさんは、諦めるという言葉を知らない人のようです。

久しぶりに、さきさんと長い時間電話をしました。

さきさんは、体重がとうとう30キロを切ってしまい、一人では歩く事も出来ない、といいました。

怖くて、自分の顔を鏡で見ることが出来ないといっていました。

痩せすぎて、魂がたまに身体から抜けて、どこにでも行けそうな気分になるとか、五感が冴えすぎて、今では身体にいいもの、悪いものがすぐに分かるとか、突然私の旦那の健康状態を心配したりして、まるで霊能者のようでした。

人間の脳は、身体がこれ以上耐えられないような苦しみが来ると、防御反応が働いて「異常な状態に耐えられる何かしらのホルモン」が放出され、脳をリラックスさせてくれるのでは無いかと、私は思います。

私は、大変なパニック障害持ちでしたが、今正常な脳だととても考えられない、お腹で10ヶ月もの間、生命を育てて、産み落とすという経験が無事に出来たのも、きっとホルモンのお陰だと思っています。

私とさきさんは、普通に聞くと「キツイ」冗談も言い合える仲でしたから、

「ゆ きさん、あなた、体重もそんなに落ちちゃって、死んでもおかしくないような状態で、正常心を保ててるって、どうしたことかね?やっぱり、人間は極度に辛い 状態になると、脳でホルモンが出るんだって事がはっきりしたよね。そうじゃないと、きっと耐えられないからね。でもさ、きっとこれからも、ホルモンは出続 けてるから、もっと辛い事になったって、さきさんはきっと耐えられるんだよ。もう、半分はあっちの世界にいっちゃってるからね。」

とこの状況においても、私達は2人で冗談を交えながらゲラゲラと大笑いしていました。

栄養失調で余命は1週間持たないという状況

ゲラゲラと笑っていたさきさんでしたが、突然泣き出してしまったのです。

初めての手術の後にお見舞いにいった時、病室で泣いたさきさんをみて以来、さきさんが私の前で泣いた事はありません。

泣きながら、またさきさんは「泣いちゃってごめんね」と謝りました。

私に心配をかけまいと、ずっとずっと気を使って、今まで我慢してくれていたんだ。。。

後程知ったのですが、この時のさきさんは、元気な声からは想像がつかない程、実は衰弱しきっており、がんに加えて栄養失調、手の施しようも無く、余命は1週間もたないかもしれないと予測されていたのでした。

泣きながら、さきさんは素晴らしいニュースを教えてくれました。

2度目の奇跡が起きた

実 は自分でも、今回こそはもうダメかもしれないと思ってたので、ダメもとで、メキシコにあるというゲルソン療養所所に入れないか申請願いを出したら、何とその申請が通ったというのです。

メキシコの 療養所には、世界からがん患者が押し寄せていて、何年も予約待ちでほぼ入ることが不可能とされている療養所なのだそうです。

ところが、ちょうどさきさんが連絡した次の週に、元々入っていた予約をキャ ンセルした人が出た為、空きが出来たから入れる事になったらしく、さきさんもこれはさすがに奇跡かもしれないから、諦めずにやっぱり頑張ってみる、というニュースでした。

何年も予約で一杯の療養所に、誰かがちょうどキャンセルしたお陰で運良く入れる、運だけで、そんな事が起こりますか?

とても不思議な何かの力が働いているように思えてなりませんでした。

私がこの耳で聞かなければ、嘘みたいなお話です。

これが奇跡というものか、と思っていた私ですが、本当の奇跡はこの1ヶ月後に起こります。

さきさんと癌:療養所で奇跡が起こるまで

白血球が急増!

ゆ きさんは、この療養所に入った初日には、体重が28キロ、栄養失調に加えて膀胱疾患と十二指腸炎を起こしており、治療に入るどころではなく、点滴治療、担 当医は可哀想だけれど、救いようが無いので自宅で静かに亡くならせてあげたほうがいいという結論を密かに出していたそうです。

さきさんにとって、最後の砦だといえる療養所ですら、彼女に匙を投げたのです。

担当医がその悲しい宣告をさきさんにしようとしていた所、突然さきさんが流動食を食べはじめ、起き上がり、回復し始め、8年間上がらなかった免疫白血球がデータミスかと思う程、急増したというのです。

実は、元々彼女の入院が許可されたのも、回復治療が目的というよりは、延命治療が目的とされていたらしく、期間もわずか2週間という短い間という前提があったからだったらしいのです。

と ころが、彼女の奇跡的な回復を見て、医師も親身に取り組み、延期のリクエストが受け入れられました。

世界中からがん患者が入院を待ち続けている状況で、延 期のリクエストはかなり難しいものだったはずが、医者もさきさんの奇跡パワーに圧倒され、可能性を信じたからなのでしょう。

3週間目に入り、さきさんは42歳の誕生日を療養所で迎えました。

病院のスタッフがこっそり彼女が食べられるような、柔らかいオートミールケーキをこしらえて、お祝いしてくれたそうです。

療 養所から届いたさきさんからのメールには、どれだけ今までのがん治療が辛くて苦しいものであったか、この療養所でやる治療には、何も苦しいものが無く、ス タッフも患者もみんな親身で、優しく、ストレスも無く、毎日天国のような時間を過ごしていると書かれていました。

幸せな気持が溢れ出てきて、読んでいる私 にも温かいオーラがたっぷりと届きました。

私は、何度もメールを繰り返して読み、何度も泣きました。

4回目、本当の奇跡が起きた

霊気が使えるという医師が、じっくり霊気をしてくれた後には、何と車いすから立ちあがる事まで出来てしまったさきさんを見て、医師は微笑みながらほっぺたにキスをして、

「あなたはミラクル。あなたは私達にとってミラクルなのです。」

と呟いたそうです。

さきさんが起こした奇跡は、医師に、周りのがん患者に、スタッフに、私に、さきさんの家族に、友人に、言葉では表現する事が出来ない、影響を与え続けています。

そして更なる奇跡が起こります。

療養所を退院したさきさんは、6月の頭に最後に療養所の担当医がリファーラルしてくれた、別のがんの医者にセカンドオピニオンを聞きに言ったそうです。

すると、4月に療養所に入る前までさきさんのがんを担当していた病院の検査結果に出されたがん細胞は、ほぼ消えているという、信じられない診察結果を出されたというのです!

このまま療養所で続けていたのと同じ治療を5年続ければ、がんは死滅すると。

療養所に入った時には、余命1週間と思われ、手で触れて分かるほどに大きかったがん腫瘍を持っていたさきさんは、信じられない事に、たった3週間でそのがんを小さくしてしまったのです。

さきさんは、諦めない、信じる気持が奇跡を起こすという事を、全身全霊で私に教えてくれました。

諦めないで信じてほしい

さきさんは今も過酷なスケジュールに基づいた、ゲルソン療法を続けています。

がんは、どんどん小さくなっています。

そして、あと5年、さきさんはまたがんと戦い続けるといいます。

「もう、余命宣告は、撤回。絶対に死なないから、安心してね!」と私に言ってくれました。

さきさんは、必ずがんを死滅させる事ができると、信じています。

彼女だけではなく、旦那様、ご家族、私を含めた多くの友人が皆、心の底からがんを死滅させる事ができると、ずっとずっと信じ続けています。

信じる気持は、奇跡を起こせるんだと思います。

今もしあなたが今が叶わないと思っている願いがあるならば、諦めてしまう前に、さきさんのストーリーを思い出して下さい。

もしもあなたの周りに、希望を失いかけているご家族、ご友人がいるならば、どうぞこのストーリを教えてあげて下さい。

そして、絶対に諦めず、信じ続けて下さい。

一人でも多くの方が奇跡を起こす事が出来る事を、私は願うばかりです。

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